丸森の帰帆
尾崎の夕照
赤崎野嶋が見えて塩
煮所東釜が見える
佐野田の落雁
今出の秋月
洞雲寺の本堂は明治時代大増築されたその以前の姿
樅の木は明治中期落雷で二又から折れて現在四度切りつめられた
長谷の晩鐘
愛宕の晴嵐
五葉の暮雪
関口の夜の雨
十月三十日の貴紙の世迷言を愛読させていただいて、私の思い出が甦りました。以前から盛郷八景の句をよまれた作者の氏名(本名)や出身地等を調べてみたが、八人のうち、三人位しか判明していません。世迷言氏のお話しの通り、昭和初期の作句と、それ以前の明治初期と思われる作句と、二種の作品がありますが、昭和の句は私の同級生の一人も作句になっています。私も同様に長寿で健在でおります。
その当時の俳句同人の一人で「五角」と言う雅号は、大内病院の御尊父様で眼科の先生で、文芸面でも幅広い才能の方だった。そこで古い話にもどるが、同封の複写の絵は、明治の初め頃のものと思われる。盛町の洞雲寺の裏山からの写生で、盛八景を鳥瞰したもので、その時代から八景の句を作られたと思う。
この絵は、伊達家のお抱え絵師が描いたもので、また、この句の作者と判明した人は藤野君山です。明治三年八月から十一月まで、盛町に滞在して愛宕神社にある王子陵の調査に来られた人です。四国の愛媛県出身で、藤野静輝と言う事(保原屋支店の祖父・幸助様)だが、その辺まではどうやら調べて見たが、先輩古老を尋ねても判らなかった。知っている方はどうぞ教えて下さい。古い方の八景もよろしくお載せ下さい。
盛郷八景
- 佐藤一楽 ○愛宕の晴嵐 草木なでなびく愛宕や青嵐
- 鈴木文山 ○長谷の晩鐘 葉桜をもれてくるなり暮の鐘
- 保原一静 ○関口夜雨 関口や雨ぬいぬいにとぶ蛍
- 佐藤素月 ○丸森の帰帆 丸森の夕べ涼しやもどり舟
- 水野仙斧 ○尾崎の夕照 夕映えのすいやもみじの尾崎山
- 鈴木正山 ○今出の秋月 たそがれて今出の山や今日の月
- 水野玉堂 ○佐野田の落雁 曙や佐野田に降る雁の声
- 藤野君山 〇五葉暮雪 ひと景色ますや五葉の暮の雪