肥田柿の思い出

30年ばかり前に、何かの本で『肥田柿』原産地のことを読んだことを思い出した。その記事には、原産地は、「陸前越喜来村肥田」と載っていた。全国に知られている「肥田」はなぜ悪いのか。私が古いのか、「小枝」は賛成できない。やっぱり、生まれ故郷の『肥田柿』を守りたい。地元に元祖が現存して繁っている写真と記事を見て、よかったよかったと思った。「○沢平吉」さん、達者で『肥田柿』を守って下さい。

そこで私も、『肥田柿』 の事について、見た事、聞いた事、経験した事を思い出して書いてみました。専門家ではないので参考にもならないとは思いますが…。

都市計画で、市に住宅地として、わずかばかりの畑を買収された。10本ほどあった柿の木もなくなり、裏庭に、ただ1本だけ名残りの柿の木があります。それは『肥田柿』です。毎年よく実ります。

皆さんもよくご存知のとおり、”ぶどう”と”柿”は他の果樹と違って、毎年その年の若芽と花をつけて、葉と共に伸びますが、梅雨の時季など、少しの風でも、弱い枝は折れて、実も落下してしまいます。

花芽も、ぼろぼろ落ちます。親指ぐらいの青い実は、庭一面に落下しますが、それは〝やませ〟とか気候の関係ばかりでなく、授粉が完全でないので、自然が適当に摘果しているようです。春に花が咲いたぐらいの数が結実したら、まるで〝豆柿″ のような小さな実になると思われます。それと、他の果樹のように、手入れも肥料もなしでは、1年休みでなければ実も付きにくいように思われます。

柿畑を造成して、低木仕立にし、もっとたくさんの木を植えて果樹園を造ったら、名物『肥田柿』も近い将来、希望がもたれるようにも思われます。

〝桜折るばか、梅折らぬばか″よい川柳だと思う。柿もその通りで、子供の頃から、よく柿落としに行ったものだが、荷車引いて、空のままの〝カマス″を積んで、それに柿の木の高さに届くぐらいの長い竿竹をかついで行ったものだ。昔は柿の木は、畑の日陰にならないように、畑ぼとりに植えたもので、みんな自然仕立ての高木ばかりだ。

柿の木は太く見えても、もろいもので、折れやすいものだ。柿の実と栗の実は、 〝ほろぎ落とし〟と言われ、長竿でたたき、それで枝まで折れれば来年も豊作だと、わざわざ小枝をたたき折る。これが昔の剪定だ。私の大事な1本の柿は3mぐらいで、はしごを登って一つひとつの枝を、来年も芽の出る所を残すように折り取り、毎年秋の収穫を楽しみにしている。

折り取った実は、300個ぐらいを枝のまま軒下に吊して熟し柿にして、3月頃まで
食べる。真っ赤に熟した『肥田柿』 のおいしいこと。輸送のできないのが心残りだ。

思い出したが、『肥田柿』 の味は、三陸町のが最高で、次は大船渡市内(立根、日頃市) で、原産地から遠ざかるほど味が落ちるようだ。

他種類の柿や豆柿が自然に多く繁っている土地は、実がつかずおいしい柿にはならないように思われるが、他に経験された方々のお話しも伺いたい。

 

海と山と椿と

今出山に登る

大船渡市を取り巻く霊峰の山々。北に五葉山(1,341m)西に氷上山(874m)東に今出山(757m)。五葉山、氷上山の山開きは真紅なツツジが萌ゆる頃に盛大な祈願祭が行われた。

私は山が大好きで、大船渡市内の山という山は登らない山はないほどだ。大船渡湾の全景は、大船渡小学校裏山の、猪ノ頭頂上以外に見渡せる場所はないようだ。湾口から盛川筋、猪川まで見通せる。話は横道にそれたが、写真撮影者の参考までに。

所で、今出山には山開きがない。林立する電波の塔、市民の生活に密着した重要な役割を担う山は今出山ばかりだ。三山の中で神社のないのはこの山だけだ。年中閉山することなく開放され、親近感をおぼえる。中井沢森林浴と頂上のツツジの大群落は200mも続く。西南に盛、大船渡の市街は、まるで航空写真を見るようだ。碁石崎、黒崎、唐桑半島、牡鹿半島と、晴天の日は遥かに金華山まで眺められる。

東を望めば三陸海岸の入り江が手に取るように見渡せる。陸前の海岸線は一目で眺望できる。三陸沿岸では最高の絶景だ。老人も子供も連れて頂上まで車で登れる山は、沿岸地方では今出山が最高だろうが、残念なことには岩石道で、自家用車族は敬遠する。

赤坂峠から三陸の大窪山と夏虫山の道路は全面舗装整備され、鹿の群れを見ることができる。四季折々の風景をたっぷり堪能できる。今出山の道路も全面舗装されれば、日の出も眺められ、市民の憩の場として、今、さかんに叫ばれているリゾート構想の一つとして取り上げては……これは私個人の提案なので、皆さんには認めてもらえるかどうかわかりませんが、中には見てくれる人もあるだろう。

九州の熊本では、日本一の石段 (3,333段) に身障者が登った。あの涙ぐましい努力はテレビでも放映されたが、あれを見た人は誰でも感心せずにはおられなかったと思う。今出山にも中井沢の刈山から石段を造成すれば、700mで約5,000段の日本一の石段が出来る。100mごとに踊り場を設け、七福神を祀る。幸いにも途中には湧水もある。(山頂には水はない)頂上には今出山神社を建立して、登山者のやすらぎと心身の精錬の道場とする。夢のような話だが、実現できないことではないと思う。

椿の里に

樹齢200年との推定だが、盛町の洞雲寺の椿の保存と繁殖に十年前から手がけているが、何しろ素人なので、努力した結果、三年目でやっと十本程活着し、新芽が伸び始めた。そこでどうだろう、椿の里に、その名にふさわしい椿の名所を造成しては。

専門家によると、ざっと一千種類はあるようだ。大船渡農業高校では毎年三月の卒業式には卒業生の父母たちに、生徒たちが入学と同時に育てた鉢植えの椿をおくっているようだ。そこで、専門家の指導を得て、千種類もの椿の観光園等を造成してみてはどうかと思う。

福島県の三春町という所は、あまり大きな町ではないが、桜の名所を手掛けている。全国の桜の種類を集めて全国一の桜の名所を造ると言う。金銭の問題ではないと思う。市民の力を結集すれば実現も不可能ではないと田いう。

一大事業を成し遂げるには、計算ばかりではない。度胸と努力で成し遂げることだと思う。言いたい放題あしからず。