土すがりの逆襲

寺の領地内に住居を持つ人は、昔は寺内の人と呼んだ。

桜場部落の住人は、ほとんど寺内の人だった。小学校もその類になって居た。

子供の遊び場も寺内である。ことに洞雲寺境内は、絶好のスリルを有する堂宇と、山あり池ありで、近い校庭よりも、ワンパク時代のガキどもの修練の場であり、今思えば身震いがするが、本堂の大屋根で遊び、天井裏で〝かくれもっこ″したり、時折り夜集まっては度胸試しなどもやった。寺内は開放的で、怒る人も、たしなめる人も居ない。墓場を巡れば食べ物には不自由ない。湧井戸の水は真夏でも冷水だ。子供等(私も小学三年)は皆、野猿のような毎日の遊び場である。

すがりの巣発見

本堂の南側の山坂で、土すがりの巣を発見した。初秋の晴れた、ちょう度今頃の季節で、蜂は冬ごもりの準備に出入りが凌いので、悪童ども相談一決で、すがりの巣を焼き殺すことに手を打って賛成した。反村するような利口な、かしこい子供など一人もいない。五、六人で杉の枯葉を集めて来た。チビスケの俺は本堂中央の須弥壇の前の燭台の上に手が届かない。チビスケの悲しさ、手が届かないので相棒一人呼んで、やっと馬印のマッチを、首このりして手に持った。

早速、杉枯葉を重ねた下にマッチを擦って点火したが、杉葉特有の香りが煙と共に立ちのぼった。火は思うように燃えなかった。煙を感じた土すがりは羽音をたてて、いっせいに飛び出した。悪道どもが皆避難すると同時に、本堂の奥から、六尺豊かな太い体躯の大和尚が、雷のような大声で、タッペ待てーと。金しばりにでもかかったように寺の前に立ちすくんだ。

〝毒の注射″

他のガキどもは皆逃げて、雲を霞と姿がない。着物時代の哀れ、木綿の浴衣一枚着て帯もしめず、紐一本、フンドシ、パンツなんて見ることもない。女の子も腰巻一枚巻いていれば上等なのだ。その浴衣、無フンの着物姿に、裾と袖口から煙にむせた、すがりが二十匹も飛び込んで、腹から股から、上半身は腕から背中まで遠慮なく毒を注射するのだった。こらえて立っている所に正面階段を足を踏みならして真っ赤な顔をして降りて来た。

説教下る

今思えば、名僧・清水孝詮大和尚である。暴力は振るわなかったが、三尺足らずのチビスケに六尺の和尚が、割れ鐘のような声で、寺を焼いたらどうする…と、頭の上から説教が下るのだが、寺を焼いたらどうする以外は何も覚えていない。二十数匹の土すがりが休みなく攻撃してくるのだ。だんだん気が遠くなるようだ。和尚の声は何を言っているのかわからない。

十分ぐらいの説教は、まるで半日程に長く感じられた。やっと解放されて素っ裸になり着物を裏返してほろったが、全身、ちりめん南瓜の皮のようにデコボコだ。

この間、部屋に飛び込んだ蜜蜂に射されて、ガキの頃と痛さに変りはなかったので、思い出のままに綴ってみた。