私のバードウィーク

三寒四温を繰り返しながらの暖かな春の訪れ、我々老人にとっては待ちに待った季節の到来だ。草木の芽吹きのように生気が蘇えるような気分になる。それに桜が咲けば最高の春です。

今から心わくわく

四月十五日は私の 「バードウィーク」と決めている。一カ月早いのでは?と思うでしょうが、実はそうではなく、私の愛鳥〝メジロ〟を迎える日なのです。桜前線と共に冬鳥は北方に帰り、替わりに春鳥が南から入れ替わりに飛来する。今年は平年並みの気温との予報で、今月の十五日には、きっと渡って来るだろうと今から心わくわく楽しみに待っているのです。

私は子供の頃から鳥が好きで、ことさらに野鳥が大好きなのです。あらゆる小鳥を飼育してみたが、やはり〝メジロ″が気に入っている。濃緑の羽根と薄茶色の胸の羽毛。その名の通り真っ白な日の丸い輪かく。スズメよりは一回り小さいが、洞雲寺の林の梢から聞こえて来る囀(さえず)りは仲々の高音で、耳をすまして目を閉じ、しばし楽しむのである。

我が家は野鳥天国

野鳥は我が家に毎日遊びに来る。庭の石灯篭を餌台にして、パン層や残飯、果物の皮などを置くと、最初に飛んで来るのはスズメで、スズメが啄めば安心して何鳥でも真似して寄って来る。

毎年、四羽のヒナ

ヒヨドリは、〝メジロ″ と同じ甘党で、カキやナシ、リンゴが大好物のようである。

年中来るのはスズメとヒヨドリで、毎年初夏の頃営巣して、きまって四羽の雛を育て巣立って行く。スズメは毎日来るが、その他の鳥は野山に花が咲き実が成れば、しばらくの別れだが、どの鳥も思い出したように我が家の庭の木に来て囀る。

スズメの仲間にも、とても見ごとな声で囀る鳥がいる。口笛吹けば必ずどこで聞くのか飛んで来るが、実に可愛いものだ。この写真は我が家の野鳥です。スズメの写真は、全部レンズの方に向かせるのに二時間ぐらい辛抱してやっと撮影した苦心の作です。

鳥の集まる所には、何鳥でも集まって来るが、ある日、何を勘違いしたのか、夜も明けやらぬ早朝の暗がりに名も知らぬ、カーナス程の鳥が、刈り込み仕立ての葉陰に止まっているのが見えた。急いでカメラを持ち出してピントを合わせたが、何しろ暗いので絞りを開放にして手持ち一秒露出で二コマ掘影したら飛び立ってしまった。早速NHKに送って鑑定してもらったら、夜行性の鳥で〝ゴイサギ〟と解った。やっぱりカメラぶれしたのが残念だった。

小さな命大切に

スズメは田や畑を荒らし、ヒヨドリは果樹園を荒らすと、世間からは嫌われものだが、鳥の生活も他の動物同様に、餌の半分以上は昆虫です。これ等の駆除に一生懸命働いて人間に貢献していると思うのです。小さな生命を守ってやりましょう。大事な餌に農薬を散布されてか、このところ野鳥の減少は甚だしく、四十年前の十分の一ぐらいになったと田いう。

激減する小鳥たち

私の愛鳥〝メジロ″もー沢、一峰に二十羽ぐらいが一群となって春から晩秋まで毎日休みなく働き、害虫類を駆除してくれる。

小鳥の子育て(餌)は、昆虫類が主です。

林業関係の人たちは、松くい虫の駆除、防除に一生懸命のようですが、虫取り専門の小鳥の激減については考えないのでしょうか。

愛鳥週間を前に愚考申し上げて甚だ失礼に存じますが、観察会の方も、小鳥を怖がらせずに楽しくまた、保護観察の方も小鳥に代わってよろしくお願い申し上げます。

気仙郡役所について

高田と誘致合戦

大正十年、盛高等小学校第三学年。その春は高等三年は私等が最後の卒業生だった。それと同時に盛農学校が創設開校された。同級生三人が郡役所、私等二人は盛町役場に勤務することになった。

郡役所所長は、下斗米末蔵郡長であった。

役場には何か色々な事情があったらしく、刈谷友治町長はじめ助役、収入役が総辞職された。悪いことは続くもので、書記の一人が病魔で逝去されたりで、役場内は空洞だった。

それで、郡長推薦で臨時・代理に千葉周治郎町長、助役には猿川さんという盛岡から来られた白髪の人だったことが思い出される。役場の隣りは村社の社務所で、翌年は前庭に建っていた蚕糸飼育所に移転した。

神社の参道を挟んで、向かいは郡役所の大きな事務所だった。平屋で木葉葺(こばぶ)き屋根だが、立派な建物であった。南に面して廊下が回され、東の室は郡長室で、酉の神社の下には土間があって炊事場と宿直室があった。前庭には左に白い門と柵が巡らしてある。

その後、町役場、市役所、気仙郡役所の建設…と続く。これ等の誘致には、.高田との競争があり、結局は郡の中央という地の利と、鈴木喜三郎(ヤマキ)市長の祖父等、有力な地元民の働きが大きく、誘致に漕ぎつけたこと等を古老から聞かされたものだ。

ここで忘れてならないのは、建築に使用されたあの太い角材、棟木、張り材、総杉材は唐丹村大石の屋号〝わがだ″(下船渡上野冷蔵・故人となられた上野与治作氏)御尊父様が全部寄付されて応援したものだそうだ。

百年の歴史と共に、解体され消えゆく文化財を惜しみながら思い出の写真を添えて稿を終わります。