佐藤写真館

楽しかった敬老会

昭和63年10月11日

台風18号が小笠原諸島から北上して関東地方に接近との予報。夏以来雨降りの連続。今日も朝からそぼ降る中を地区公民館主催の年1度の「敬老会」に出席した。

70歳を過ぎてから毎年、親切に案内状を戴きながら欠席を続けて来たが、今年こそは出席してお世話になろうと昨日までもその気で小たが、当日になり、またもや行ぐべが、なぞすべと、いつもの引っこみ思案が始まった。

近所の老友とも話して行くことを約束したのは夕べのこと。どういう訳か、思い返してみたら、耳が遠いのが気遅れの原因のようだ。他の人と親しく話しかだりしても、二言目には、なんだったべ…となる。とても失礼で、もっけになるので、わがったふりして返事をすれば、まるで言うことが〝チンプンカンプン″だ。外国人にでも会った時のようにさっぱり訳がわがんねァ。

家族の者であれば、愚妻等が注釈するのであんまり不自由はない。補聴器を使用しているが、非常によく聞こえる声と、全く聞きとれない声とがある。どうしたことか女の人の声はわかりやすいようだ。そんなことだから耳が遠いと友情までもが疎遠となってしまう。人の集まる所、講演などに行っても馬耳東風なのだ。

老人クラブゲートボールも、歩け歩け運動もジョギングも、何ひとつとして老人の集まりには無縁居士だ。淋しぐなかんべが…と言われるが、それがどうしてどうして、多趣味であるから毎日が忙しいのだ。老後はできるだけ他人に迷惑などかけず、心の向くまま気の向くままに今まで出来なかったことをやりながら過ごしたいと思っている。

そんな風なので、腰が重い所に妻の声。昨日まで、行ぐ行ぐつて喜んでいたのに、今日になってなんとやめっどごだべがや、10時半になってば。友達ァどもあぎれでだべ…と言われ、重い腰をようやく上げ出かけることにした。

敬老会場に着いた頃は雨も小降りになっていた。同輩たちも遅ればせながら、ちらほら見える。奉仕の婦人会員のご案内で宴席についたが、すでに満席だった。部落別に着席するのだが、遅れたために他部落の席についた。

関係当事者たちの挨拶はみな〝長寿おめでとう〟 であった。テーブルには心づくしの山海のごちそうと、老人向けの唄踊りで大変にぎやかだ。どの顔も、シワだらけの顔がほころびて楽しくうれしそうである。見えないのは自分の顔だけだった。

とって返ってカメラを持って会場に戻り、部落の面々の写真を撮り、久しぶりに会った友人、なつかしの老友をひと通りスナップにおさめることができた。

主催者並びに奉仕のご婦人方のご好意を無にせず、初めて出席した感謝の意を申し述べたく投稿致しました。盛町敬老会ありがとうございました。

豊年だ万作だ

全国隅々まで唄のない町村はないだろう。歌、唄、謡、里謡、民謡、小唄、地唄、歌謡曲と数々の曲が古来唱い続け伝えられている。心の古里の子守唄等数々ある。

なごむ心、やすらぎの曲を聞きながら育てられた私は唄が大好きだ。中でも民謡が好きでよく愛唱したが、長い年月を生き抜いた私の声も塩から声だ。それで今はあまり唱う機会もなくなったが、なつかしさの余り時々、民謡の里を訪ねてみる。文化財が消えゆくと共に薄れゆく唄も数々ある。

幼児の頃から耳にした唄に〝豊年だ万作だ"の里唄がある。酒の集まりや、お祭りの囃子に、気仙地方では知らない人がない程の郷里の唄であるが、さてその歌を満足に唱える人のないのには驚いてしまう。曲はみなわかっているのだが、歌詩がわからないのだ。たまげたもんだ。

それを囃して踊った昔の人々をたずねて歩いてみたが、出だしばかりは調子よいが、あとが続かない。1番の詞と2番の詞の混ぜこぜもあり、この間の「敬老会」の時にも唄好きの老人仲間なら解る者もあるだろうと、聞いて回ったが、知る人もなしで、まさに秋の風のような淋しい限りだ。

甚だしいのは、〝かっぽれ"の文句まで混ぜている人もあった。私の覚えのある所だけ書いてみるが、里謡、民謡を消さないためにも、誰か手助けして下さい。

一、豊年だ万作だ 稲穂も揃って出たわいな アトワカラナイ

二、おもしろやうれしやな 正月二日の初夢に おまえ百までわしゃ九十九まで共に白髪の生えるまで 高砂子夫婦の仲人で おまえさんと添うとこ夢にみた