佐藤写真館

「医療の話」

昭和63年2月18日

運河を築港

荒涼としたオホーツク海と、大船渡湾より広い能取湖、海に出入りの出来ない湖を船が通れるように運河を築港するのが私達挺身隊の任務だった。岩手隊三宅隊長以下10人、20年の6月12日、現地に向かって出発した。

函館本線小樽にて下車、翌日早朝、湧もう線二見が岡駅着。そこから西へ4里。美岬の砂浜が常呂まで4里の長い沿岸だ。そこには三角兵舎が二棟、調理場と風呂場が二棟建っていた。背後が国有林で雑木とトド松の原生林だ。冬の寒さはさぞ厳しいだろうと思ったが夏場のアブと蚊の多いのにも驚いた。それに大きな蛇も沢山いる。また野鳥も多く、砂浜では、揚げ雲雀。

宿舎の前は湿原で、6月頃になるとアヤメ、カキツバタ、名も知らぬ花が一面に咲き乱れ、淋しいながらも、まさに娯楽浄土だ。波は静かで3軒だけの農家は農業が本職だが、馬も5、6頭飼っていて、一日中野放しだ。10メートルの建て網で鮭や鱒をとってきては売ってくれる。我々も幸いに釣竿を持って行ったので砂浜からエビのような虫をとってきて餌にし釣ってみたら1時間位の休み時間で一尺位のウグイが20匹も釣れた。

工場現場の湖では湖口に一尺位の牡蠣が無数についている。潮の干満をみて取りに行く。一株あげると10個もついている。牡蠣もウグイも塩ふりして焼いて食べてみたが、あまり美味しくはなかった。内地物と比べると、まるっきり味が落ちる。

山菜の林

毎日の作業は土木工事と、それに原始林のトド松の伐採が主で、時々、調理炊飯係から山菜とりと、供出用のイタドリ刈りをたのまれることがある。なにしろ山菜だってイタドリだって一個所で刈り取ることができるのだ。一山がゼンマイの山である。まるで山菜の林のようである。よく見るとウドが、ニンジン程の太さになって、白根が一尺もあるのだ。

作業が終わると風呂を浴びて夕食となるが、北の果ては日が長い。内地では考えも及ばない。午後七時を過ぎてもまだ日が照っている。その年は冷害のためかなり被害があった年で寒さも厳しかった。西に日が傾いたと思ったら、真夏なのにストーブに火を入れる家庭がほとんどだった。夜ともなれば電話もなければラジオもない。時々来るのが空襲警報だ。岩手隊、福島隊、茨城隊で毎晩のように賭博が開帳されるのである。

白頭山節

岩手隊は真面目であった。隊長の三宅さんが、仲間の宴席でも今まで唄一つうたったことがないので何か覚えて帰りたいが、佐藤君お願いだから一つ指南を頼むと来たもんだ。〝ヨウガス″と、その道できたえた〝ウヌボレ″で引き受けたのである。さて、何がよがんべとなった。民謡、小唄、端唄なら大抵の唄は身についている。相談の結果「白頭山節」と決定した。初めての人にはむずかしいとは思ったが、本人の望むことなれば是非もない。それから毎晩白頭お山に積もりし雪は…と三カ月程やったが、まもなく終戦となったのである。

その間、岩手隊には免許皆伝の揉治療師・菅野宮松先生が入隊した。世田米から入隊した。毎晩、かわるがわる背中や腰の揉治療の特別奉仕である。時折り治療の話が出る。医者に見放された病人を全治させた話やら診断のことなど。病気は診察が第一で胆石症は咳が出るし、痰も出る等々の話から診断を下すのだなと感じた。