佐藤写真館

紅葉と柿

昭和62年12月25日

さわやかな秋晴れが連日続き山は赤く色づき、家の中に落ち着いてなど居られない気分になる。春夏秋…この季節になると山歩きにお誘い下さる方から、今年は何の音沙汰もない。それもそのはず、市の芸術祭が開催中で、その方も作品の出品やら門下生のお世話、それに踊りのお手伝い、また絵画も嗜み、とても多忙な方なのでこの秋は山歩きの暇などないであろうと、老妻となかば諦め話をしていた。

静月さんの誘い

その人は女流書家の津田静月さん。静月さんは、山と花が特に好きで忙しい中にも閑をみつけては季節が変わるごとに山にお誘い下さる。私の老妻も門下生の一人で、御指導を受けている。そんな所へ、噂をすればなんとやらで、その夜、静月さんから山への誘いの電話があった。明日、仙人峠の紅葉を見に行かないかとのこと。待ちに待っていた行楽だもの、二つ返事で話がまとまった。

10月28日、昨日に続くよい天気で、風もなく錦雲が静かに青空を南に流れる。予定時間の9時に迎えの車が着き、いつもの四人の顔が揃った。私は山に行くにも海に行くにも〝カメラ″と〝ゴム長靴″は忘れたことがない。水の中や薮の中に立ち入る時の準備である。車の中で行楽コースの打ち合わせをし、まず赤坂越えで、五葉山麓へと決めた。

〝第二の目的″

私には別に、第二の〝豊作の柿″ の観察の目的もあった。車窓から見る柿は近年には珍しいほどの豊作で、他人事でも心がはずむようだった。里の方は、まだ樹々の緑が濃いが、鷹生川上流の方は美しく色づき、ほんとうに見頃だった。牧野を登れば赤坂峠で、そこを右に折れ間もなく三陸町の大窪山牧場に出る。木は伐り払われ、谷間だけの紅葉を眺め、曲りくねった坂を下り、大野部落にたどり着く。飼主にひかれ、牧場から牛舎に帰る黒牛を追い越しながらあたりを見ると、見事に実をつけた地元名産"柿"の並木が目につく。車を止めてもらい思わずカメラのシャッターを押した。二十本ぐらいと見たが、落葉したらまだまだ壮観であろうと思った。

私は、実はこの柿が見たかったのだ。地形が南向きで日当たりも良く、背後は山で台風もあまり強く当たらないのだろう。この大野には、たくさんの柿の木がある。次に45号線を一路釜石市街を通り、甲子川上流に向けて車は急ぐ。車の窓からは甲子柿が目につく。中妻あたりから小川、洞泉、大畑、大町あたりまで続く。三陸、大船渡の柿とは別種類のようで、柿の実も小さめで色合いもちょっと違うようだ。

見事な実成り

まだ十月なのに、もう葉がほとんど落ちていた。ただ本数の多さと、見事な実成りぶりにおどろく。ここも地形が川に沿い西東向き、背に山をめぐらし、日当たりがよさそう。川風が吹き抜けそうだが、暴風雨にはさらされないようだ。

早い所では、もう皮をむいて吊るしている家もあった。次に目ざすは仙人峠。もう正午は過ぎた。名所の赤い陸橋も日陰となっている。仙人峠はもう晩秋の仔いだ。紅葉は真っ盛りでも日がかげっては絵にも写真にもならない。沢風が吹き寒くなってきたので釜石の街に下り一服すると、もう三時だ。私の希望で帰途は上有住に越える箱根峠を回ることにした。再度甲子川を逆戻りで、大町あたりで川を左に渡る。

今から三十年ほど前に土木事務所の工事の関係で、有住側から頂上あたりまで登ったことがあったが、その頃はまだ草木がぼうぼう茂って石ころだらけの山道であった。トラックでやっと登ったことを思い出した。その後、山頂付近にはテレビ塔も建てられたようだが、道路状況はどうなったのかは知る由もない。釜石側からは初めて登るので少し不安もあった。

まさに絶景

だが登ってみて驚いた。道路は立派に舗装され、カーブは多いが実に眺めのいい楽しめるコースだ。前方には愛染山が形よく聳え、遠く裏五葉峰が鍋倉峠に走り、伊達と南部の境界線が紅葉に染まり、トンネル・渓谷は深く〝絶景″とはまさにこの事か。

今日一日のコースで最高の風景を眺めることができたが、残念ながら日が暮れて写真にはならない。上有住大洞に降りた時は真っ赤な夕焼け空だった。天気予報は明日も晴れだと言う。静月さんは明日の午前中に、箱根峠にもう一度来て、心ゆくまで紅葉を楽しみたいし、カメラにも収めたいと言う。一同賛成となり、またまた行楽の延長戦となる。夕暮れせまる六郎峠を越えれば陸前石橋で、明日はまた逆コースで箱根に来る。車で急げば三、四十分ぐらいか。釜石行きなら楽しい近道のような気がする。みんなが、それぞれに趣味が共通するので話しのまとまりが早い。

柿について

二日目は陸前石橋から六郎峠を越え箱根峠へと直行した。連日晴天に恵まれ、今日も秋晴れの快晴だ。風景は変りなくとも曇りと晴れとでは雲泥の差だ。今日もほんとうにカメラ日和で午前中に登り口で思う存分撮影した。今日はビデオカメラも携帯した。後日、「箱根峠の紅葉」というタイトルで、テレビ岩手で紹介された。二日連続の車の運転、静月さんには内心申し訳なく思いました。あまりの楽しさゆえに、豊年の柿の話が遅れてしまったが、これから本旨の柿についての見たこと、聞いた話などを述べてみたい。専門家ではないので間違いや思い違いもあることと思いますので割り引きしてお読み下さるよう前もってお断り致します。

○里古りて柿の木持たぬ家もなし  芭蕉

大ざっばであるが大船渡市、三陸町、釜石市と柿の木を見て回った。私の見たところでは、日頃市町の小通部落では、よく柿の木を育成しているように思われた。幸いに柿の皮むきから吊るすまでの工程をビデオに収めることが出来た。(後日、テレビ岩手で放映された)大屋の新沼さんのお宅でのこと。小通地区は、まさに芭蕉の句そのままに軒並み柿の木を所有しているようである。

今は種なし

ひと山越えて立根に着く。ここも市内では柿の多い所で、原産地に近いことと、南向きの地形が幸いしてか、三陸の肥田に次いで味が良いように思われる。大船渡市では、ほとんど外来種の柿は見られなくなったので大変よいことだと思う。昔は肥田柿でも種子があったように覚えているが今は種なしで知られている。

十二時十三分の三鉄釜石行きで三陸町の肥田の部落に辿りつく。急坂道の一番上の家が、肥田柿の元祖・●沢平吉様のお宅に柿の木のお話しを伺いにお邪魔する。御主人と畑から戻ったお婆さんの二人が、色々と昔からの事を心良く話して下さった。畑の斜面の革ままに二本あるのが肥田柿。そもそもの元木だが、何代前に植え付けたのかわからないが、ざっと・二百年ぐらいにはなるだろうとの話でした。

元祖・肥田柿

今年は、さっぱりだめでがす…と●沢さんは言う。なるほど、よその木を眺めると、枝も折れんばかりの鈴成りで、かなりの豊作のようだ。元祖肥田柿のそばに行って見上げると、他の木は柿も色づきはじめ葉もたくさんついているのに、その老木二本には一葉もついていない。数えてみたら小さな実が申し訳ぐらいしかついていない。何年も前からその木に親しみ共に育ってきた柿、晩秋の楽しみの一つとして通い続け、数えてみたらいままでに何千個は食べたであろうその原木の哀れさに涙がこぼれそうだ。周囲には柿の木もたくさんあるが、未だにカラスや小鳥たちも、その老木に集まっては実を啄(ついば)むとのこと。●沢さんも、この木だけは毎年晩霜の頃にもぎ取って熟し柿で食べると言う。これがほんとうの柿の味だと言った。私も同感で、小鳥たちが集まるのも柿の味のよさを知ってのことだろう。以前にも書いたが、我が家の名残りの一本の柿が今年も豊作で、四百個以上は収穫した。台風の影響で立枝は全部ほろき落とされた。残りの分は枝のまま軒下に吊るし春まで楽しむことにする。この熟し柿は実に味がよいのだ。

栄養失調?

私の思うには●沢さんの所有の原木は、老木と言うこともあろうが栄養失調もあるのでは?秋に下草を取ったり、思いきって古枝を剪定し、遠根の周りに充分に施肥し木の若返りをさせてはどうでしょうか。柿ほど手のかからない果樹はない。病害虫に強いし袋かけの手数もかからない。収穫は幸いにも農閑期で作業が楽だ。

●沢さん宅では一時間ぐらい柿にまつわる話など色々聞かせてもらい肥田の里を後にした。振りかえり見れば高い畑の上から肥田柿が我々を見送ってくれた。元祖肥田柿発祥の碑はどこにも見えなかった。

三つの呼称

話は別になるが気仙には三つの柿の名があるようだ。三陸町には肥田柿、大船渡市には小枝柿、陸前高田市には広田町の越田柿。私は個人的に原産地の呼び名を呼ぶことにしている。

終わりに、専門家たちは柿の木の育成にもっと指導充実し、若木をたくさん増殖し、柿の果樹園にし将来は名実共に柿の里の生まれることを念願している者です。