佐藤写真館

「観音様」

平成元年1月24日

今年こそは稲子沢の観音様拝観を叶え、80年ぶりに思い出を起らせたいと念願かけたが、岩谷堂に知己のない者としては連絡のとりようがない。それに、おろかにもご開帳の月日も、ご縁日はいつなのやらも知らないのである。

管理者わかる

昨年1月7日、七草の日だった。とにかく江刺市役所の観光係に電話をしてみたが、驚いたことに、観音様の話はなんだか聞いたことはあるが…と、まるで他所の事のような返事で、我々が思ってた程に地元には知られていないこと、また、それ程観音様を崇拝する者はいないような感じだった。

電話の向こうとの会話の後やっと管理を依頼されている人の事がわかった。三音社で柏木都海男さんという人がその管理者であったが、鍵を預かっているわけでもないし、拝観を任せられている訳でもない。ただ見回りを頼まれているだけで、いわゆる"ガードマン"の役なのです。

初めての面会を楽しみに

ご当主は、花巻市で幼稚園を経営なさっている方で、私と同年輩ぐらいの、先代の未亡人、小原ハヤさん。ご子息は県職員・善次様。電話番号もわかったので電話をかけてみたところ、82歳のおばあさんとは思えぬような若やいだ声で、私が観音様を参拝したい趣旨をご理解下さって、観音様の今日までの謂れ、由来、由緒まで、とてもご親切に、30分も説明してくれた。

実に感謝のほかない。まるで観音様のお声を聞く思いだ。私の年齢も明かし、どちらも高齢なので、お互いに達者で…と、11月のご開帳の時に岩谷堂での初めての面会を楽しみに電話をきったのだった。

これが昨年のこと…1月から11月までが待ち遠しかった。先頃、猪川の有志たち100人ばかりが団体を組んで観音参りに行って来た話を聞いてうらやましかったが、当日は仕事の都合で残念ながら行けなかった。年が明け、今年こそは…と心に決めた。

稲子沢観音様の里帰りの話は今までも何十年と聞いてきた。私も賛成だが、何しろ百年も経過しているので、岩谷堂では 「中善観音」と呼ばれ定着している現在、果たして小原家では里帰りの話に乗ってくれるだろうか。それが先決問題だと思う。忘れた頃にまた買い戻しの話が何度も出たが、具体的な計画構想は聞いたことがない。

里帰りは無理か?

里帰りは猪川、盛の人なら誰でも望むところだ。昔の事を想像するのは甚だ気がとがめるが、当時、500円の代価でお堂から土台石まで解体され、盛街道を大股、姥石峠を越え、観音様が運ばれて行く時、手を合わせて見送る地元の崇敬者たちはどんな気持ちだったろう。

それを引きとめるだけの力の持ち主はいなかったのだろうか。せめて菩提寺の洞雲寺にでも安置できなかったろうか。私の計算では、当時檀家は大体500戸ぐらいとみて1戸当たり1円ぐらいの寄付があれば、何とかなったのではないかと思うが、当時、寺には和尚以下5、6人の修業僧と女中2人、寺男1人と和尚家族で10人以上は生活を共にしていたので、暮らしは決して楽ではなかったと思われる。観音様を引きとめるだけの資力は乏しかったと聞いてはいる。

それに三陸大津波、日清、日露の大戦直後、大事変等、人心の動揺で観音様どころではなかったようだ。話はまた元に戻るが、私の考えでは稲子沢観音の里帰りは無理だと思う。希望通りに買い戻しの話が成立Lたところで、数千万円ぐらいの資金が必要ではなかろうか。

荘厳豪華な仏間を建設

ここで貴重な人物を紹介したいと思う。

高額な私財(数千万円ぐらい?)を投じて、小さめだが荘厳豪華な仏間を建設して宗教に身も心も没頭し、仏の道に終生のやすらぎを求めている人がおられる。お話を伺って実に尊い日常の生活と、うらやましく思った。この人は盛町吉野町の菅原法正様と言う人で、ご本尊は先祖伝来の親鸞聖人直筆のお掛軸で、特別に製作した立派な箱に納めてあり、災害の時には持ち出せるように配備してある。しかもその直筆は法然上人が入寂15日前に書かれたものと言う。これは菅原家の家宝として代々受け継がれている。そこで本旨に戻るが、個人でこれだけの資金を投入し浄土宗を信仰して、檀家もなければ檀徒も見受けられないようだ。

〝平成観音像″を建立を

せっかく観音様を崇拝して安置するなら、新たに『平成観音像』を建立してはどうだろうか。稲子沢の観音様の里がえりの予算経費があれば充分実現しそうだ。これは手っとり早い計画構想のようだがここで問題なのは何よりもやる気があるのかないのかが先決だ。夢のような話ばかりが新聞紙上でも見受けられるが大構想と掛け声ばかりのようにも聞こえる。

何も稲子沢観音のお里帰りに反対するものではない。出来ることなら大賛成だが、今日までの成り行きをみていると無理な話のように思えるのだが…。「稲子沢観音」でも「平成観音」でもよい。誰か積極的に取り組む人はいないものだろうか。

私も数え年で84歳を迎えたが及ばずながらも協力させて頂きたく、願いを込めて愚考を書きました。